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空は遠く、見果てぬ夢の話-舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜のこと-

『舞台 刀剣乱舞 義伝 暁の独眼竜』が千秋楽を迎えました。

今回は2回会場で見る機会に恵まれ、先日のライブビューイングでひとまず見納めとなったので、備忘録もかねて感想を。

※容赦なくネタバレしています

※やや辛口な内容を含んでいます。
 ほめちぎる感想しか読みたくない!という方はスルーしてください。

 

舞台『刀剣乱舞』義伝 暁の独眼竜(初回生産限定版) [Blu-ray]

誰のための物語?

今回初見時に思ったのは『話がとっ散らかってるなあ』ということ。

公式サイトのあらすじを引用しますが、

本丸では、小夜左文字がなにやら気落ちした様子であった。
近侍である山姥切国広は、悩みを聞きだそうとするが、小夜は山姥切を避けるような態度を見せる。
また、延享四年へと調査任務に赴いた大倶利伽羅と歌仙兼定は、任務先で仲違いをしてしまう。
倶利伽羅と同じく元伊達家の刀である燭台切光忠、鶴丸国永、そして本丸の新たな仲間として顕現した太鼓鐘貞宗は、ふたりの仲違いを解決しようと思案する。
鶴丸がなにか良い案はないか主に相談すると、主から意外な任務が下された。
三日月宗近は、そんな本丸を見守っている。

一方、戦国の世では、豊臣秀吉による天下統一が果たされようとしていた。
その時代の移り目に、終わりゆこうとする戦国を憂うひとりの男がいた。
その男、伊達藤次郎政宗
天下人への夢を燻らせ続ける政宗に、彼と信義の絆で結ばれた盟友・細川与一郎忠興は、やがて来る泰平の世を生きていくことを諭す。

政宗が天下人となることは《見果てぬ夢》なのか…

ある日、刀剣男士たちに出陣の命が下りる。
出陣先は、慶長5年(1600年)、徳川家康率いる東軍と、毛利輝元石田三成らが率いる西軍とが大激突を繰り広げた天下分け目の大戦 関ヶ原の戦い

そこで刀剣男士たちがみたものは――?

https://www.marv.jp/special/toukenranbu/story.htm

これだけでも要素がたくさん詰め込まれているのがわかります。

これが上手いこと絡み合って物語が進んでいくのかな、と思うじゃないですか。

絡み合わない。独立して話が進みます。

いえ、絡み合っている、としたかったんだと思うんですが、どうにもそこがうまく機能していない気がしました。

一応すべての要素に決着はつきます。でも、それぞれがバラバラの方向を向いたエピソードなので内容が薄い。言葉で語られても説得力がない。そこがとても残念でした。

いろいろやりたかったんだと思うんですが、誰の物語なのか、をもっと絞って見せたほうが良かったんじゃないかなー『九曜と竹雀の縁』を話のベースにしたいのなら、小夜の悩みエピソードは入れなくてよかったんじゃ?歌仙さんと大倶利伽羅をメインに据えて、そこに伊達政宗のエピソードを絡めていったほうがまとまったのでは?と思います。

でも冒頭と最後を小夜のシーンにするってことは『小夜の悩みと成長』を見せたかったのかな?ううん?

小夜の言う『強さ』とは?

小夜は『伊達の刀は強い』『歌仙は強い』と繰り返し口にします。それに比べて自分は、と悩みます。彼の言うところの『強さ』とは、おそらく【刀剣男士として顕現するときにベースとなる逸話や元主との物語にとらわれず自己というものを確立していること】なんでしょう。小夜は元主が抱き続けていた復讐の念に捕らわれてしまう自分のことを自己を確立できていない=弱いと感じて悩んでいたんだと思います。

思うんですが。

どうして小夜がそんな悩みを抱くに至ったのかが全く語られません。もうすでに冒頭の時点で悩んで、そのことを気にする山姥切に対してそっけない態度を取ります。

ここで、どうしてそう悩むに至ったのか、を一言でも語ってくれたらまた印象も変わったんだと思うんですが…なんでもいいんです。貞ちゃんが顕現したのをきっかけに、でもいいんですし、前回の虚伝 燃ゆる本能寺において、自分の兄や織田の刀が元主と向き合うのを見て、でもいいんです。きっかけを教えてくれないので唐突に悩みだしている、という印象が拭えず、どうなりたいのかもよくわからず、最終的に山姥切と本丸で手合わせをして決着をつけるので置いてきぼりにされる感がありました。

『復讐の念も自分自身の物なんだから受け入れてその上で自分の意志で強くなる』という決着はいいと思うんですが、それは彼がずっと強いと言ってきた伊達の刀や歌仙さんを見てその結論にたどり着いてほしかった。

彼が強いと言っていた彼らも、出陣した関ケ原において、いろんなことに悩み、苦しみます。そのうえで足掻いて自身に折り合いをつけているんだ、という姿を見て、小夜にはその結論に至ってほしかったし、そちらのほうが物語としてすっきりする気がするんですが…

九曜と竹雀はどこで折り合いをつけたのか?

私はまだ九曜と竹雀の回想を全部回収してないので、その状態で見た感想。なんかこう、あれで納得できる要素があるなら申し訳ないんですが、正直大倶利伽羅と歌仙さんはどこでどうやって折り合い付けたのか全然わからなかった…いつデレる要素があった…?大倶利伽羅は歌仙さんの元主に対するむき出しの感情を目の前で見たからまだあそこで何か思うところあったんだろう、とは思うんですが、歌仙さんが大倶利伽羅に対してどこでデレる要素があったのか全然わかりません…「おまえは強い」の一言でデレちゃったの?チョロすぎない?

あれだけぶつかり合っていた二人が(理由はお互いのコミュニケーション能力が不足しているというだけでどうしようもないレベルの溝ではなかったわけですけど。似た者同士って言われてますし)あのざっくりとした感じでなんとなく仲良くなってしまうのはどういうことか?と。いや、なんとなく反りが合わないから始まったことなので些細なことで修復もできるのかもしれませんが、それにしたって。

リアルではそういうことも起こりえますが、これは『物語』です。もう少し明確な、納得のできる形で感情の流れを見せてほしかったなと思います。最後に視線あわせないでお酒飲んでる二人はドチャクソ可愛いですけどね。SUKI。

伊達政宗はどうして天下が欲しかったのか?

今回のストーリーでは、伊達政宗が終わりゆく戦国で天下人への夢を捨てきれない、というのが重要な要素になっています。

でも、正直『天下を獲りたい理由』がピンとこない。戦国の世に男として生まれたからには、と言われても理解はできますが納得はできません。そんな。ステレオタイプな。

重ねて言いますがこれは物語です。物語なのだから動機づけは物語を動かす原動力になるだけの強さがいる。でもこの理由では原動力としてはいささか弱い。信長公に憧れていた、彼に真のもののふの姿を見た、彼を超えたい、という台詞も出ましたが具体的なエピソードがなくセリフだけなのでへえ…という感想以上のものが出てこず……いや…私が読み取る力がないだけなのかもしれませんが、もう少し、なるほど、と思わせてくれるエピソードが欲しかったなと思います。後半「小十郎に天下を獲った自分を見せたかった」みたいなことも言いますが、そんなそぶりを全く見せないのでそうだったの……?という感想しか出てこず(というか小十郎はずっとそんな政宗を止め続けていたわけですが)黒甲冑にしても政宗の妄執が具現化した、という割に彼が天下を獲りたい理由がぼんやりしているので理解はできても納得ができません。

例えば、三百年*1徳川家康は【自身も戦の被害者だったから、戦のない世の中を作りたかった】という天下人になりたい理由が明確にありました。でも政宗は天下を獲りたいとは言っても、その後のビジョンがまったく見えません。執着する理由が明確にわからないので、セリフが上滑りして聞こえるんですよね…

ただ、ひたすら政宗様は凛々しく格好良かったので、それを見られただけでも御の字感はあります。イケメンだった…

倶利伽羅は何を考えていたのか?

倶利伽羅が大倶利伽羅すぎて何考えているんだかよくわかりません。

いえ、もともと彼はべらべら喋る性格でないのはわかっています。ある意味とても忠実に再現してくれています。素晴らしいです。でも忠実すぎて、何考えてるのか全然わからない…!

原作以上の台詞がほとんどないので、こちらで勝手に想像するしかないんですが、そんな彼が物語の重要な部分を牽引するので、理解が追いつかないままに話が進んでいきます。どうして彼は黒甲冑にとどめを刺せなかったのか。どうして彼は歌仙と和解できたのか。それを見ながら理解するには彼の内面を語る言葉があまりに少なすぎる。

おそらく、ですが。大倶利伽羅関ケ原が終わった後で伊達家に下賜された刀です。だから戦国の伊達政宗を知らない、からこそ憧れた。あんたの道具であればよかった、と大倶利伽羅は吐露します。唯一と言っていいほどの彼の内面がはっきりと見えるシーンです。大倶利伽羅伊達政宗の『刀』であった時がないからこそ、戦場を生きる彼に憧れ、武器として使ってほしかった、と望んだのだと思います。だから、戦いに生き、戦いで死ぬという伊達政宗の『野心』を殺すことをためらってしまった…

…観劇三回目にして多分こうだろうな、という推測はできましたが、あくまで推測。答えに至るには素材が少なすぎることに変わりはありません。

私は伊達の刀のことは刀帳に書かれている以上のことはあまり知りません。伊達の刀のことをよく知っていて、考察している人なら腑に落ちたのかもしれない。でも私にはわからなかった。だから黒甲冑に対してとどめをためらう彼の反応が唐突に見えてしまいました…べらべら喋れ、とは言いません。でももう少し…独り言でもいいから彼の心の内を声で聴きたかった…濃い目の伏線を張ってほしかった…

闇堕ちは計画的に 

さんざんPixivで見た、と言われまくっている鶴丸オルタですが、これもなんというか…必然性が見えないといえば見えない気がします。あと何よりも緊張感が足りない。

鶴丸が黒甲冑に取り込まれて一体化→慌てる伊達の刀たち→三日月登場『甲冑を引きはがせば何とかなるんじゃない?』→それだ!!

待ってくれ絶望が足りない!!!

この舞台においての三日月宗近に対する信頼感は異常です。だから、早々に彼が『鶴丸助かる』宣言をすることで、観客は安心してしまいます。あーそうなんだ、三日月宗近が言うならそうなんだろうなー

もうあとは惰性です。ハラハラもしません。だって助かるってわかってるから。

もったいない…と思いました。ありがちかもしれないけれど『俺ごとこいつを壊せ』っていう展開のほうが盛り上がるじゃないですか。物語が不明瞭な鶴丸が黒甲冑と一体になることで伊達政宗の物語を抱いたまま折れる、ってとても悲しいけれど美しいと思うのです。

ももちろん折れて欲しくはない。伊達の刀も観客もそう思います。取り込まれた、もうだめだ。鶴丸ごと折らなければ、でももしかしたら、万に一つの可能性かもしれないけれど甲冑だけ破壊することができたら鶴丸を助けられるかもしれない。

希望はチラ見せでいいんです。99%の絶望に対しての1%でいいんです。そこに覚悟と葛藤が生まれます。物語が曖昧だ、と言っていた鶴丸がそれでも『これが鶴丸国永だ』と認めることで自分の物語と向き合い、自己を確立し、結果隙ができて甲冑だけ壊すことに成功する、という展開とか熱くないですか。

個人的な好みの話になりますがもったいねえーーーーーと思いながら毎回見ていました。もうズタボロに精神的に追い詰めてくれていいのに…クライマックスに必要なのは安心感ではなくてハラハラ感です。今回の展開は黒い鶴丸ビジュアル的にとっても綺麗、以上の感想が出てきません…

あと根拠のない感覚的な話なんですが、あの鶴丸、大倶利伽羅を庇って、だとか、作戦で、というよりは自分がびっくりしたかったから取り込まれた、としか私には思えない。驚き欠乏症だって冒頭から言い続けてきたことへの着地点。好奇心は鶴を殺す。

未だ、暁の刻

ほかにもこう、いろいろと、光忠と貞ちゃんがいる意味合いだとか、スクリーン多用しすぎてて逆に醒める(鶴丸取り込まれ演出は控えめに言ってもいらない)だとか、必要なエピソード薄いけどこの場面必要だった?って場面があるだとか、思うところはいろいろとあるんですが、生で見られてよかったなあと思っています。

前作から思っていましたがとにかく殺陣が素晴らしい。各々の個性に合わせた目にも止まらない剣戟の応酬。特に今回は小夜と山姥切の手合わせの殺陣が素晴らしく、何やってるのかまったくわからないような速度。小夜左文字と山姥切国広の練度の高さ、強さが言葉ではなく動きでわかる、というのは凄まじいことです。

三日月宗近の能のような美しい脚運び、ライブビューイングでわかったちょっとした表情の変化、声のニュアンス、俳優さんのことは詳しくない私でも、鈴木さんはすごい役者さんだとしみじみ思います…山姥切に「あんたはこの本丸をどうしたいんだ」と問い詰められたときに「おれは、ただ…」と答えるこの声が三時間のこの舞台の中で一番印象に残っているシーンです。

多分、三日月宗近は何かを知っている、し、もしかしたら何か時間干渉に近いことをしようとしているのかもしれない。前作初演のラストシーンから不穏なフラグを少しずつ立てていましたが、再演、そして今作ときて『なんだかよくわからないけど何かしようとしている』ということが確信に変わりました。

彼が味方なのか、それともいずれ戦うことになるのか、それすら今はわかりませんし、彼の飄々とした態度から本心を見透かすことはとても難しい。でもあの瞬間、少しだけ彼の心の底が覗いたような気がしました。きっと彼は本当に、どんな形であれ本丸を、山姥切国広を強くしようとしている。導こうとしている。それを信じたいし、願わくばその行く先を見届けたいと思います。

前作は三日月と山姥切の月下の語らいの場面や、本能寺の変など、夜のシーンが印象的な作品でした。今作は夜明け前から物語が始まり、夜明け前の刻を繰り返し、夜明け前で物語が終わります。おそらく、この物語自体が『夜明け前』にあたるのだと思います。この本丸を巡る物語が結末にたどり着き振り返った時に、『暁の独眼竜』がどう見えるのか、今は楽しみにしていようと思います。

次回は誰の話になるのかなあ。新撰組が来てしまったら私の財布が真剣必殺してしまう。

*1:ミュージカル 刀剣乱舞 三百年の子守唄