Lyri*Cache

好きなものを好きなように。

私は彼のことが嫌いだった-三日月宗近という刀のこと-

私は三日月宗近という刀が嫌いだった。

というと語弊があるのですが、嫌いになりかけていたのは事実です。

それが、ここ三か月ほどで、グッズを買い、出演作を見直し、多分誰が見ても『好き』と判じられるような状態に足を突っ込んでいます。

私は、自分の性格上、一度『嫌い』になったものが『好き』になることはほぼないことを知っています。とても、珍しい。ちゃんと今の自分の感情を形として残しておこうと思います。

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰 [Blu-ray]

 嫌い…というか、苦手になりかけていた理由としては、当時親しくしていた友人の影響が一番大きかったと思います。意識的か無意識なのか『自分の推しを持ち上げて、ほかの刀を一段下に見る』物言いをする人でした。その彼女が推していたのが三日月宗近だったのです。

三日月宗近は特別。ほかの刀は彼よりも下』

私は、特に新撰組の刀たちが大好きです。表だって彼女と衝突したことはありませんでしたが、自分の好きなものを間接的に貶されているようで、いい気分ではありませんでした。

彼女とは、舞台の鑑賞時やチケットのやりとりで少々困ったことになったこともあり、付き合いは自然消滅したのですが、連想ゲームのように『三日月宗近』自身の印象まで悪くしてしまったのだと思います。

その後……まあ、これは仔細を省きますが、ミュージカルという媒体上で決定的に『無理』と思う出来事があり、それ以降どうにも三日月宗近という刀が苦手になってしまいました。

 

刀剣乱舞という作品は、同じ名前を持つ刀であっても、作品によって性質が微妙に異なるものだと明言されています。原作の三日月宗近、舞台の三日月宗近、ミュージカルの三日月宗近、アニメの三日月宗近、これらは全て同じ名前の違うキャラクターです。

私が苦手になったのは、ごく一部の三日月宗近だったのですが、どうしても同じ名前、根元が同じこともあり、別のものとしてうまく切り離せず、他の媒体の三日月宗近まで苦手になりつつある、という状況になっていました。

 

それが180°反転したのは、悲伝という作品に出会ったからでした。

まず、前提として私は『舞台の三日月宗近』に対しては好感を持っていました。

苦手という意識に『三日月宗近』が、端からじわじわと侵食されつつある状況でも、彼だけは一番遠い場所で留まっていてくれました。

それでも、あくまでちょっとした例外。

好きでも嫌いでもないな、くらいでした。

それが、悲伝という作品に触れて、私の彼に対する印象ががらっと変わってしまったのです。

 

悲伝の物語の中で、初めてさらけ出された三日月宗近という刀の心は、達観した"神様"ではありませんでした。優美や華麗という言葉からは最も遠い、泥臭いと言っても過言ではないほどのもの。

彼もまた、過去使われるべき時に使われることのなかったという未練を抱えた、一振りの刀でした。大切なものを救おうと足掻いた結果、何度となく仲間たちと刃を交えなければならないという悲しみを抱え、どこまでも強く、優しく、自分勝手で、孤独で、愛情深く、あまりに儚い存在でした。

彼の咆哮を耳にし、彼の心の内を突き付けられた私は衝撃を受け、衝撃を受けたことに愕然としました。私も彼自身のことをどこか"特別"だと思っていたことにやっと気づいたのです。特別扱いされているのが嫌だと、それが原因で彼のことが苦手になったくせに。私はどこかで「三日月宗近だから」大丈夫だと思っていたのです。

きっとそれが「三日月宗近」を孤独にしたのに。

 あの柔和な笑顔の奥で、どれほどの苦しみと瀬戸際の狂気を抱えて歩き続けてきたのか。

いっそ諦めてしまえば、狂ってしまえば楽だろうに、彼はそれを選ばない。ただ、ぼろぼろになりながら今もどこか、遠い場所を歩き続けている。絶望の底にたった一粒残った希望をよすがにして、焼け野が原をたった一人で。

 

私は、泥臭い人が好きです。諦めの悪い人が好きです。一人で勝手に覚悟をして、こちらが泣いてわめいて頼んでも、ごめんねと謝ってあちらがわにひょいと行ってしまう人が好きです。三日月宗近はそういう心を持った刀だと、私はそう認識してしまったのです。

それは、三日月宗近を演じてくださったのが鈴木拡樹氏だったから、というのも要因の一つとして大きいと思います。彼だったからこそ、これほど心に刺さる存在になった。存在感に、演技に圧倒され、理屈を感情でねじ伏せられる感覚は忘れられません。一挙手一投足を追うことに必死になると涙すらも追いつかない、ということを教えてくれたことを心から感謝しています。そんな体験、そうそうできることではない。

彼が演じてくれたからこそ、私は「三日月宗近」を嫌いにならずに済んだ。むしろこれほど好きになれた。それのなんと、幸せなことか。

 

公式で個体差が存在していることが明言されている、というのはありがたいことです。たとえちょっと解釈が違うな、という媒体に出会ったとしても、余所の話だからと自分を納得させることができる。

でも頭で理解していても、心は簡単にはついてこないこともままあります。

根元が同じ存在を、完全に違うものだと切り分けて考えられるようになるのに、時間がかかることだってあります。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはよく言ったもので、苦手な人に関わるものは自動的にマイナス補正がかかってしまいますし。

だからこそ自分自身で考えて、他者から与えられた印象を切り離す必要があるのですが、一度苦手だと思ったものを延々と考えることを人はしません。少なくとも私はしたくない。それより好きなもののことを考えたい。

けれど、まったく別の角度からの突破口を与えてもらえれば、一度『嫌い』に針が振れかけたものも、覆すことができる。そのことを改めて知った気がします。

貴方を好きになれてよかった。強く美しい刀の神様。

願わくばもう一度会いたい。あの本丸の三日月宗近に会いたい。

 

それはそれとして、坊主袈裟理論は怖いので、誰かにとってそうならないようにしたいなと思います。自分の推しを『あなたのせいで苦手になった』と言われたら、なんて考えただけでぞっとする。

 

 

 

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰 オリジナル・サウンドトラック

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰 オリジナル・サウンドトラック