Lyri*Cache

好きなものを好きなように。

何にもいいと思えないしあんまり憤慨もしない話-引き寄せの魔法の目標設定のこと-

最近、精神的不充足感のせいでまんまとこんな本を買ってしまいました。

1日5分で夢が叶う 日記の魔法

1日5分で夢が叶う 日記の魔法

 

 すっごく叩き潰して平たく言うと『目標や夢を書き出して、意識しながら一日を過ごしましょう。具体的にイメージしていれば自然に行動が伴って夢はかないます!』という内容です。
装丁も中身もキラッキラで外で読むのが恥ずかしい。カバーを取って読んでいます。
読み始めて驚いたのが、作者が違えど、本質的に言っていることがこちらと変わらなかったこと。

たった1行ですべてが叶う手帳の魔法 (中経の文庫)

たった1行ですべてが叶う手帳の魔法 (中経の文庫)

 

……5分で、とか、一行で、とかお手軽に満願成就を望みすぎですね。疲れているときにはこのお手軽(に見える)感が甘い蜜のように感じられるわけで、まあそこは置いておいてください。

こちらは『手帳セラピー』という名称ですが、やることは『日記の魔法』と基本的に変わりません。毎日の目標設定・朝夜の見直し・肯定形で書くなど。
まあ両方、所謂『引き寄せの法則』です。
この思考法はどれくらメジャーかつはやっているものなんでしょうか。本屋にいくと、自己啓発系のコーナーで必ずといっていいほど見かけるんですが。
なりたい自分を具体的にイメージして、肯定系・完了形で書きとめる。どんな荒唐無稽な夢でも大丈夫!書いて意識することが大事!
わかります。うんうん、そうだよね。大事だよねー
書くというのは、物事を定着させることだと思います。曖昧な、あやふやな、よくわからない流動的なものを、捕まえてクリアにしてとどめておく。
書くことで、意識がそちらに向く、というのもわかります。テスト前に自分で時間割を作って目標を決めて勉強した経験がありますが、あれと根本は同じことです。
対象が『勉強』なのか『人生』なのか、というだけで。

しかし、いつまでにここからここまで勉強する、という分かりやすいテスト範囲とは違う、人生においての『目標』だとか『夢』だとか、そんなものがそもそもよくわからなくなっている人間にはハードル高いな、とふと感じました。
目標を書くこと自体が重荷というか、目標を書く、が目標というか……完了形で!みたいな妙な前向きさも違和感を感じます。
そもそも、やりたいこと、がよくわからない。
何にもいいと思えない、あんまり憤慨もしない。ねえ好きって何だっけ……
昔はよくわからなかったはずの、椎名林檎の『やっつけ仕事』が最近妙に身に沁みます。

昔は、なんのてらいもなく、夢や希望を描くことができましたが、大人になるとなんとなく『このくらいなら手が届く』みたいなものが物理的に見えてしまいます。
荒唐無稽でも大丈夫!と言われても、無理だと思ってしまうと手が止まるというか。
こういう自分で設定した限界ハードルがよくないんだろうなーとは思っても、一度凝り固まった頭がそうそう簡単にほぐれるわけでもなし、うーん、とうなって終了。これをなんとか打破したいと思いながら、ここ数年すごしている気がします。省エネ的な心の使い方に慣れてしまって、好きで好きでどうしようもない!みたいな衝動を昨今感じていないような、感じていたとしても認識できていないような……
そういう感情って苦しいので、敢えて避けていたらこんなことになっていました。
植物のように生きるのは穏やかでそれはそれで良いものすが、私は吉良吉影ではないのでその退屈さに慣れる事に危機感を感じています。

こういう本をやたらと読んでしまうのは、現状が嫌だ、こういう生き方がしたい、なんとかしたいという意識があるからでしょうね。頑張りたくない、変化は怖い、でも頑張ったり変化したりしないと、前には進まない。
全速力で走っていないとその場にとどまれない、その三倍はやく走らないと、遠くにはいけない。鏡の国のアリスで赤の女王がそんなことを言っていた、ような。