Lyri*Cache

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大原のマヨヒガの話-マリアの心臓・花魁地獄太夫展-

シルバーウィーク中に、京都・大原にあるマリアの心臓に行って来ました。

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www.mariacuore.jp


もともと、渋谷にあった頃から度々足を運んでいたギャラリーだったのですが、2011年に惜しまれつつ閉館。
その後2012年に一度鳩山会館で開かれた期間限定の催事には行ったのですが、京都の大原にて再開されてからは、まだ一度も足を運んでませんでした。京都は馴染みのある場所ですが、何分遠い。今回たまたま帰省とタイミングがあったので行ってきました。
私事で忙しく、しなければいけない作業もある。それで散々迷ったのですが、結論から言うと、それをおしてでも行って本当に良かった。あれは見なければならないものでした。

  噂には聞いていたんですが、古民家ひとつがまるまるギャラリーというのは、すさまじいことです。まず入ったら正面にお人形。どこを見てもお人形。途中から靴を脱いで進みます。確かに『そこで生活していた誰か』の気配を感じる。しかし、今この家の主は人ではなく人形で、人間のほうが異物だということを強く感じます。これは、渋谷にあったマリアの心臓に行く度に感じていたものと同じ感覚で、ひどく懐かしくなってしまいました。
「花魁地獄太夫展」と題された通り、文楽人形をはじめとする和人形が多かったように思います。人形だけではなく、絵画やオブジェも展示されていて、その中をうっすらときこえてくるのは、イノセンスの「傀儡謳」で、その親和性に眩暈がするような思いでした。
花魁、という言葉から想起される哀しみや情念という言葉に、恐ろしいほどぴったりで。

見所はやはりカタンドールの大作でしょうか。あんなに大きなカタンドールを見たのは初めてでした。
今まで見たことがあるのは大きくても80cmくらいの子だったのですが、今回いた子は120cmくらいはあったかな…?寝台に寝かされていたので、正確な大きさはわからないのですが……佐吉さん曰く、ゴムを抜いてあるというその子は、寝台の上にうねる赤い紐の中にうつ伏せていました。
裸の体にからみつく太さも長さもまちまちの、赤い紐。それに半ば埋もれながら、彼女の首はあらぬ方向に向けられ、虚空を見つめていました。
寝台の頭部分には鳳凰の刺繍が施された古い着物。
恐ろしくもあり、美しくもあり、哀しくもあるその作品を見たとき、ああ、来てよかったと心から思いました。
赤い紐のオブジェもまた一つの作品で、『嫉妬』と題されたそれは、紐状にした布の中に古布を詰めてつくられているそうです。だからとても重いそうで…
「屋根裏に運ぼうと思っていたんだけど、とても一人じゃ無理だから一緒に置いてみたんだよ。どうしてもこの鳳凰を見せたくてね。本当はもっと奥まであるんだけど隠してある」
「可淡もそうだけど魂で作っているよね。僕も置くときに何も考えなかった。頭を使っちゃだめなんだよ、魂で作らなきゃ」
オーナーの佐吉さんにそんなお話を伺いました。
庭からの穏やかな光が差し込む中で、赤い紐に絡みつかれた彼女を見ながら感じたものは、哀しさであり、淫靡さであり、全ての存在が背負う業であり、抜け出せない因果であり…けれどどうしようもないものに絡めとられているように見える彼女は、それでもどこまでも無垢でした。

隣のお部屋には、恋月姫さんの天草四郎のお人形が二体。むせ返るような百合の香りが充ちる和室の中に、じっと座っていました。
正面には座布団が置かれていて、座って鑑賞することができます。
前に正座すると、少年の視線はけっしてこちらではなく、虚空を見ていることが分かります。
ああ、神様をみている、と思いました。
まるで祭壇のような雰囲気。マリアの心臓は、人形たちの聖域であると改めて感じました。

その後、屋根裏の展示を結構な重装備で這うように見たり(渋谷の頃にいつも見ていた可淡ドールのオルゴールと再会できて嬉しかった…!)とても貴重な体験をさせていただいたりもし、心の底から満たされた気持ちで大原を後にしました。
素晴らしかった。マヨヒガに迷い込んだ、そんな感じでした。時の流れが違う気がします。

オーナーの佐吉さんがいらっしゃって、たくさんお話させていただけたのはとても幸運でした。
繰り返し仰っていた、「狂わないと作れない」「でも完璧に狂ってしまったら作品を作るどころではない」「狂う瀬戸際、ギリギリのバランスがある。頭で考えずに魂で作られた作品は素晴らしいものになる」という言葉。ほっと、胸をつかれたような、引き戻されたような気分になりました。
趣味で物書きをしていますが、このところずっと頭で書いていたなあ、と。
『どうしたら受けるのか』『どうしたら作品を見てもらえるのか』ばかり考えてしまったり、慣れているがゆえに小手先の勝負にでてしまったり、でも長く続けているとそれが当たり前になってしまったりします。だって見てもらいたい。反応は欲しい。気に入ってもらいたい。
でも佐吉さんの言葉を聴いて、人形たちの姿を見て、それじゃ駄目なんだなーとなんとなく思ったりしました。マリアの心臓にいるお人形たちは、媚びていない。こういうのが好きなんでしょう?ではなくて、私はこうしたい、の結晶のように見える。
好きにやって『すばらしいもの』になるほうが稀なのかもしれません。センスはもちろん、技術や努力は必要でしょう。でもその方向を間違えてはいけないよ、と言われたような気がしました。
いや、いろいろと詰まっているときに行ってよかったです。時間を割いてでも、ここで行かなければならなかった。


マリアの心臓、次回は天野可淡メインの展示になるそうです。


日程が出ていない上、11月の観光シーズンに被っているので怖いのですが、それでも行きたい。日帰りでも行きたい。
たまにあの、時間の止まった空気を吸い込まないと、内側から枯れて心が死んでしまう、そんな気がします。