Lyri*Cache

好きなものを好きなように。

私が加州清光と出会って知った『俺の嫁』という感覚、あるいは花を愛でるという気持ち

『加州清光は俺の嫁
そう口にするには、勇気がいる。なんとなく気恥ずかしい気持ちもあり、『みんなのもの』を『自分の』と宣言することで不興を買ってしまうのではないか、という不安もある。
それでも私は、敢えて言いたい。加州清光は俺の嫁
今回は彼に教えて貰ったこの気持ちについて、思うところを書いていこうと思う。

\世界一可愛いよ!/

 


そもそも『俺の嫁』という感覚を私は知らなかった。
物心ついた時には既にオタクだった私には『好きなキャラ』というのは常にいるものだった。まだキャラ萌えなんて言葉がなかった時代、それは対象が二次元であるというだけで、擬似だろうがなんだろうが私にとっては紛れもない『恋』であったし、おかげさまで妄想力というものを随分鍛えられた。ちなみに初恋の人はヤッターマンのガンちゃん。彼らは『俺の嫁』ではなく『妄想の中の恋人』だったのである。

今で言うところの夢女子(メアリー・スー気味)という入り口から、同人誌を知り、BL(当時はやおいと言った)を知り、思考も嗜好も変化していった。さまざまなジャンルを渡り、いろいろなキャラを好きになったが、それでも『俺の嫁』という感覚はよくわからなかった。だって鬼道さんは私の嫁ではなく風丸先輩のものだったし、DIO様のインソールにはなりたいがあの方を嫁と呼ぶなんておこがましくて口が裂ける。
俺の嫁』がいる友人たちの話を聞いてもピンとこなかった。『好き』と一口に言ってもその形は千差万別なのだし、自分が『俺の嫁』を知ることはないだろうと思っていた。

私が刀剣乱舞を始めたのは本当に気まぐれで、そもそも長く続くとは思っていなかった。
なんとなく事前登録はしていたが、私は友人に「乙女ゲーの才能がない」といわれるような人間であり、所謂『乙女ゲー的やたらと髪のさらさらした前髪の長いイケメン』にはなんの食指も動かないタイプである。キャラクターがこぞってこちらをちやほやしてくるようなゲームであれば、三日と経たずに飽きるだろうと思っていた(刀剣乱舞は乙女ゲーではないのだが、当時はそもそもどんなテイストのものかもまだ情報としてなかった)
まあせっかく事前登録したのだし、触るだけ触ってみよう、とサーバーに入り、最初の一振を選べと並べられて、さてどうしようと手が止まった。
結論から言えば、第一印象において加州清光はまったく引っかかってこなかった。見た目も、声も、短い自己紹介ボイスにおいても、とりたてて私の気を引くところはなかったのである。他の子たちには声のアドバンテージがあったり、外見や、個性のアドバンテージがあった。加州清光は私に選ばれる可能性が一番低い刀だったのである。
艦これをプレイしていたのでなんとなく「ここで選ばなくても後々で手に入るのだろう」ということはわかった。けれど、いずれお気に入りが他に現れたとしても、ポケモンにおける御三家しかり、最初の一振というものは特別である。
悩んだ末に私はwikiを開いた。そもそもあんな自己紹介ではそれぞれの特徴もどんな来歴があるのかもいまいちわからないではないか。性能に大きな差がなかったとしても、知ってから選んだって遅くはない。


ちなみにこれに三日かかった。よそ事をしていたこともあったが、全員いまいち決め手に欠けたのである。
何度も開いたwikiのページを眺めながら、私は次第に対象外だったはずの加州清光が気になってきた。初期刀の中ではなかなか優秀な性能、そして何より刺さったのは『綺麗にしていたら愛してもらえると思っている』という一文。こいつは面倒な匂いがする。そんな根の深い素振りは自己紹介においてまったくなかったと思うのだが。


結局悩んだ末に私は彼を選んだ。
右も左もわからない私はこんのすけと名乗る案内役の狐に言われるまま、早速初陣に挑み、そして盛大に負けた。
一連の流れを覚える云々はわかるのだが、あの流れは正直どうかと思う。せめて演習という形にしてくれないか。さすがニトロプラス。新米審神者と刀の心をへし折らんばかりだ。まったく慈悲がない。
私と同じく、右も左もわからないまま戦場に引き出されたであろう彼は、一撃重傷からの脱衣まで披露してぼろぼろになって帰ってきた。
出会って五分で痛々しい姿になってしまった彼を本丸でつついたとき、自嘲するような口調でこういったのだ。

「こんなにぼろぼろじゃあ、愛されっこないよなあ……」

この瞬間、私は彼に落ちた。
気がついたら「そんなわけないだろ好きだよ!!大好きだよ!!」と叫びながら手入れ部屋で手伝い札を投げつけていた。
こういう面倒くさい愛されたがりが私は大好きなのだ。
恐ろしいことに、本丸の扉を開けたらそこは落とし穴でした。垂直に落ちる私はさぞ面白かったことだろう。

アドバンテージなどない、と言っていたのが嘘のように彼は私の最愛の刀になった。
ずっと近侍としてそばに置き、事前登録特典として貰ったお守りも真っ先に持たせた。
どうして審神者は刀に贈り物ひとつしてやれないのか。本当は刀装や馬じゃなくて綺麗に着飾ってやりたい。デコっちゃって!などと言う彼のために、気の済むまでかわいくしてやりたい。
それで彼が笑ってくれるならそれでいい。怪我をするたびに愛されっこない、などという彼が自信を持ってどんな自分でも愛されていると思ってくれたら最高に幸せだ。
刀剣乱舞には親密度によってセリフが変わるなどというギミックはない。どんなに一番良い装備を与えても、中傷になるたびに彼は「愛されっこない」と呟く。それでもいいのだ。好きな子の幸せを願って何が悪い。
悲しいかな、腐女子の性で誰かいい相手はいないものかと考えもした。しかしPixivをあさってみてもあらゆる可能性を考えてみても、どうも自分の中でしっくりこない。誰かこの子を幸せにしてやってくれ。すごくいい子なんだ。誰も幸せにしてくれないのなら、いっそ自分で幸せにするか。
そこまで考えてはた、と気づいた。これはなんだか今までと違う。もしかしてこれが『俺の嫁』なのか?

 

『推し』『担』という言葉がある。どちらも「この子のファンです」ということを端的にあらわしている言葉だ。これは最近聞かないが『狂』なんて言ったりもする。
清光推し、清光担、清光狂、ううん。どれも何か違う。『好き』というカテゴリにくくられる言葉であることに間違いはないのだが、何かニュアンスが違う。

思うに『推し』や『担』という言葉は、そこで完結している。状態を表す言葉であり、感情を表す言葉ではないのだ。「○○担降ります」といったりするが、「俺の嫁と別れます」と言っている人は見たことがない。たとえジャンルや『推し』が変わっても『俺の嫁』は『俺の嫁』であり、変わることはないものなのだ。それで変わってしまう嫁は最初から嫁ではない。嫁は増えることはあるだろうが、減ることはないのである。
俺の嫁』の定義はもちろん人それぞれだろう。友人は「宇宙の真理だ」と言っていた。
私に限って言えば、『俺の嫁』というのは「能動的に愛情を注ぎたい相手」であるらしい。
今まではおそらく大多数の腐女子がそうであるように、空気として見守りたいと思っていたし、幸せになれよ…とは思えど、自分から働きかけるという感じではなかった。攻、もしくは受がその子のことを幸せにしてくれればそれでよかったし、世界はそこで完結していて私はそれを箱庭を眺めるように見ているだけだった。傍観者だ。
けれど『俺の嫁』に関しては違う。「私が」幸せにしたい、と思う。積極的に湯水のように愛情を注ぎたいし、別に見返りなどはいらない。ただ、常と変わらず、笑っていてくれればいいし、彼が彼であってくれればそれ以上に望むことはない。そう、君が涙の時には僕はポプラの枝になる。
もちろん、相手が二次元である以上、レスポンスは存在しない。頭の中に作り上げた『うちの子』をひたすら愛でるのに等しい。それでいいのだ。私は加州清光を独り占めしたいわけではない。他所の本丸でも同じように大切に愛されていてくれたらそれが嬉しい。

幼い頃、好きになった、憧れたキャラクターたちに私は「愛されたかった」
自分のものにしたかったし、彼らの特別になりたかった。
どちらがいいとか悪いとかではない。
ただ、今はひたすら、花に水を注ぐように「愛したい」のである。
花嫁、とはよく言ったものだ。
『加州清光』が自分のものでないことはわかっている。
レスポンスがないのだから特別になどなれるはずがない。
それでいい。彼が私の特別で、「私が初期刀として選んだ加州清光」は誰のものでもない、私のものだと知っている。

穴の底の沼で、私は考える。
これから先、ジャンルが変わることはあるだろう。『俺の嫁』と呼べる存在も増えていくのかもしれない。
けれど、加州清光が私にその感情を教えてくれたことは覆らないし、彼は永遠に私の最初の嫁だ。
それはとても、嬉しいことなのである。