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爪と牙を研ぎ澄ます話-ミュージカル『刀剣乱舞』幕末天狼傳のこと-

刀ミュ、新作発表のカウントダウンが始まりましたね!今回は誰のお話になるんだろう。ロゴが燃えてたから燃える場所なのでは?って推察があったけどあちこち燃えてて心当たりが多すぎる。妥当なところだと豊臣かな?

そんなわけで、このタイミングなので今更ですが天狼傳の話をしようかなと思います。
この作品、私とても好きで、好きすぎてちょっと冷静に話せないところもあるんですが、頑張ってみます。

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浅葱色の青春

私が天狼傳が好きな理由はとにかく『青い』こと。眩しいほど、苦しいほど、鮮やかに『青い』。
あれは青春譚なんです。刀たちにとっても、彼らの元の主たちにとっても。
そのがむしゃらな輝きが、見るたびに胸をえぐって、涙が止まらなくなる。
あまりに皆まっすぐで、不器用で。かっこ悪くてかっこよくて。


前作の阿津賀志山異聞が古傷との対峙を真正面から描き切ったものだとしたら、天狼傳は、まだ『生傷』なんです。過去への憧憬というには生々しすぎる。多分、全然決着なんてついていない、現在進行形の物語。
今回編成された刀剣男士が皆歴史的には浅く『若者』であることも一因だと思います。阿津賀志山の時のメンバーのように、達観なんて誰一人できていない。
前作では、悩み、迷って苦しむ側の子(今剣・加州清光)とそれをさりげなく一歩引いて導いてくれる側の子(小狐丸・三日月宗近)がいました。でも天狼傳はそこまで余裕のある子がいない。強いていうならそのポジションを土方組の二人がやってくれるんですが、三日月と同じ距離感からかというとそれは違う。『先生』ではなく隣に立って、同じ視点から助言してくれる『友人』です。
だから、助言してくれる側の子たちも同じように迷ったり悩んだりしていて、それになんとか折り合いをつけている。それは、客席で見ている自分たちの視点に近いのかもしれません。平安の刀たちみたいに達観はできなくても、一緒に悩むことはできる。

望み焦がれた彼の地何処

天狼傳は二人の登場人物を主軸に話が進んでいきます。一人は大和守安定、一人は長曽祢虎徹。
対極のような二人は、実は相似形でもあります。
安定は言います。

『もし君が病気にならなかったら、長生きすることができたら、歴史はどうなっていたんだろうって』
『ひょっとしたら新撰組が負けることもなくて、刀の時代が終わることもなかったんじゃないかって』

この安定が口にするあまりに切ない『もしも』を、長曽祢さんもまた、抱えています。
安定のように素直に口にするか、それをずっと抑え込んでいたかの違いです。
だから今まで歴史には不可侵の姿勢を保ち続けていた長曽祢さんも、クライマックスで近藤さんに尋ねるんです。

『貴方はなぜ戦うことを止めてしまわれたのですか』
『貴方の力ならまだ戦うことはできたはず』

二人が言っていることは本質的には同じです。
あなたが戦っていたら、刀の時代は終わらなかったかもしれない。
貴方に生きていてほしかった。ずっと一緒にいたかった…
新撰組の刀たちは全員、元の主の影響をとても強く受けています。長曽祢さんに至っては、根本的なアイデンティティすら近藤さんがいなければ確立しえなかったものです。
だから元の主に対する思い入れが格別に強い。もっとシンプルに言うなら『大好き』なんです。
けれど主たちは時代に選ばれずに散っていき、刀の時代は過ぎ去ってしまった。全員が『選ばれなかった』ものです。
それをなんとか飲み込んで、自分の中で消化している子もいます。土方組とか、加州くんとかはちゃんとケリをつけられている。
でも安定はもう最初からずっと『沖田くん大好き』全開で見るからに危うい(実際に後戻りできなくなる一歩手前のことまでやらかしている)んですが、一見それから一番遠く見える長曽祢さんが同様の危うさを抱えているという脚本が、とても好きです。
彼の場合は、歴史を改変してしまうかも、という危うさではなく求められる『刀剣男士としてあるべき姿』であろうとして、決着がつかないまま自分の心を殺してしまうところだった、という危うさだったんですが…
本編の最後を飾るひとひらの風で

せめて願い叶うなら ともに野を駆ける

ひとひらの風】

というパートを歌うのが安定と長曽祢さんというのが象徴的ですごく、好きです…ありがとうございます…

星は巡る

刀ステの前作『虚伝 燃ゆる本能寺』で三日月さんが『巡る心の話』をします。
人は物に思いをこめ、その思いが物に宿り、やがてその思いは還ってくる。
心は森羅万象を巡り、物は託された人の縁を結び運ぶ。
これは舞台の本丸でのお話ですが、天狼傳でも同じことが起こります。
近藤さんが天狼星へと託した思いは、沖田くん、土方さん、加州くん、蜂須賀さん、長曽祢さんと巡り巡って最後に近藤さん自身へと還ってきます。
貴方は狼星になった、と自らの振るった刀の口から聞かされます。
この仕掛けに気づいたとき、本当に、震えるほど感動しました。
この天狼星に寄せられた心を伝えていく場面は各々独立していて、誰に聞いた話だ、という台詞はほぼありません。
でもだからこそ縁を感じるし、これが心が巡る、ということなのだと思います。
そして、私がこういうことを考えること自体も、刀ステの三日月さんから受け取った心が巡っている、ということなのかなとも思います。
寄せた心がいつか巡って還ってくる、って言葉、とても好きです。
貴方のやっていることは無駄ではないよ、と言われているようで。きっと近藤さんも嬉しかったと思う。

 ユメひとつ それだけで

やっぱりにっちもさっちも纏まらなかった天狼傳の感想ですが、叩き伸ばして言うと、
『若くて可愛い男の子たちが青春してるのが好きなら見てね!』です。
スポーツもののほろ苦くて真っ青な感じが好きな人は好きだと思うの、天狼傳。
入り口も新撰組ってわかりやすくて入りやすいしね!

こう、ままならなさ全開なのが、いいんですよ。
多分何一つ、彼らが心から望んだものは手に入っていない。
それはもうとっくの昔に失われたもので、頭では分かってても皆それぞれ何かしら引きずっている。(一部『引きずるものがない』ことがコンプレックスになってる子もいる)
でもそのほしいものが手に入らない、何一つままならない、もどかしくもがく感じって、青春だな…って思うんです。
青春って甘くない。むしろ苦くてすっぱい。実際がどうとかはおいておいて、概念として皆そういう感覚を持っている。
そこにガンガン突き刺さってくる作品なんです。
宴会シーンの馬鹿馬鹿しさと、安定のくしゃくしゃの泣き顔や血を吐くような憧憬は同時に存在できるんです。

キャラクターの見せ方だとか造詣も大好きなので、これに関してはまた別に記事にまとめたいと思います。このキャラのここがいい!的な話をすると何字書いてもきりがなくなる…

今 燃える血潮 沸き立つ 鋼(はがね)の誓い
土砂降りに飛び出せ
泥濘(ぬかるみ)に躓(つまず)いても 前のめりに転がれ

【ユメひとつ】

ユメひとつのこの歌詞が幕末天狼傳そのものな気がします。
この歌詞を歌うのは三条じゃなくてやっぱり、team新撰組with蜂須賀虎徹であるべき。
泥まみれになっても、前に、前に。
それは若くて青くて、力強くて眩しくて、
泣き疲れた目に映る青空は、じんわりと美しい。

 

 

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