Lyri*Cache

好きなものを好きなように。

菊は舞う、あるいは、あなたとワルツを-にっかり青江という刀のこと-

ミュージカル『刀剣乱舞』真剣乱舞祭2017 【ブルーレイ】

ミュージカルの青江くんが好きです。
いえ、ゲームも花丸も、青江くんは皆好きなんですけど、特にミュージカルの青江くんが好きです。

歌合、行かれました?皆さん行きましたか?私は行きました。

今回、某本丸の審神者さんに【くれぐれも】とネタバレを禁止されているので多くは語れないのですが(まあ、それは時が来たらまた)全く予想していなかったところから、にっかり青江にぐっさり刺されてワイ審神者は瀕死になっています。

思えば、2017年の年末も同じ状態になっていました。

なんなのあいつ。毎年年末になると私の心臓突き刺していくのなんなの。刺すのは得意なの。脇差だから????

 

にっかり青江、もとは大太刀の大脇差

彼曰く「おかしな名前」の由来は、ニッカリと笑った女の幽霊を両断したことから。

怪しい逸話にふさわしく、彼自身もつかみどころのない、不思議な刀。

彼との付き合いは、私が審神者になってわりとすぐに顕現してくれたのでかなり長いんですが、すごく好きになったのは2017年の末なので、三年間くらいは特に意識していなかったことになります。

それが、真剣乱舞祭2017で貫通されて、すっかりうっかり好きになってしまいました。

……と思っていたんですが、三百年の子守唄を観劇した時からかなり「青江が」「青江君が」と友人に話していたようです。

全く記憶にありません。

これを指摘されたとき、クラスメイトへの好意を自覚し、死ぬほど恥ずかしい思いで友人に相談したら『え?あれで好きじゃなかったの?』と言われ、二重に辱めを受ける、みたいな気持ちになったわけですが、お分かりいただけますでしょうか。

未だに、青江くんのことを好き、というとき、なんともいえない気恥ずかしさを感じています。今更お前何言ってんの、みたいな。

 

多分、私はミュージカルの青江くんを見ていなかったら、彼のことをこんなに好きにならなかったと思います。

三百年の子守唄で、彼を見て感じたのは、ものすごく優しい刀だな、ということでした。

優しさにも、いろんな種類があります。三百年の子守唄に出てくる刀たちは、それぞれに皆、本当に優しいなと思うのですが、例えば、物吉くんのような、明るく励ましてくれるような優しさもあれば、石切丸のように、すべてを知り、分かったうえで苦しみは自分が負えばよい、と背負い込むのも優しさです。

青江くんの優しさはというと、プラスでもマイナスでもない、ただあるがままを受け入れて、でもずっと寄り添ってくれているような、すごくニュートラルでフラットな優しさだと思います。

彼はどんな感情も、考え方も否定しません。まずはするりと受け止めて、そうなんだね、と笑っている。

でも、本当に相手が必要としたときに、必要な、でも、君の好きにしなよ、と言わんばかりの言葉でちょっとだけ背を押してくれる。

物吉くんの優しさが太陽のあたたかさだとしたら、青江くんの優しさは月の光です。

温度がなくて、やわらかくて、でも夜の闇の中で月を見ると安心するように、ふっと心が楽になるような。

でもこれは、彼が相手のことを相当観察していないと、できないことです。

飄々としていて、つかみどころがないようで、周囲に目を配り、一番良い形になるように立ち回ってくれる。

見た目や言動は大人びているのですが、彼もとっても『脇差らしい』と思います。

 

彼は、隠すのがとても上手い刀です。

百年の物語の中で、彼の心のうちはほぼ語られません。

言葉の端端の色から、ふとした表情から、小さな仕草から、それを読み取るしか、心の内を推し量る方法はありません。

飄々と、刀たちの橋渡しをしながら、でもふと、彼の心の内側が見える瞬間がある。

私を突き刺していくのは、いつもそんな刹那です。

三百年に、青江と石切丸が二振で会話する場面があります。

敵の手から、赤子の家康を守りきり、物吉くんに託した後、不思議そうな様子で手を見ている青江に、石切丸がどうしたのかと尋ねると、彼は『赤ん坊のぬくもりを、自分は知らなかった』『そんなことも知らなかったなんて、自分は血を吸いすぎたのかな』と答えます。

その言葉に対して、石切丸は家康は後の世で神として崇められるのだと話します。君は神の子を守ったんだよ、と。

青江はその言葉に対して何も返しません。石切丸を見た後、自分も手伝ってこようかな、と退場します。走って。

私は、この『走っていく青江』がとても好きです。

嬉しかったのだ、と思いました。声色や表情はほとんどいつも通りなんですが、私が把握している限り、彼は戦闘中以外の動作はゆったりとしていて意味もなく走ったりする刀ではありません。それが、軽やかに駆けていく。言葉はフラットでもその動作に感情がこもっているようで、とても印象に残っています。

再演ではその演技ではなくなっていたのですが、青江役の荒木さんは、毎回演技が変わるので、私が見ていない回では走っていく青江くんがいたのかもしれません。

 
彼は基本的に中庸にありますが、自分の意見がないわけではなく、あくまで受け入れるだけで彼自身の意見はものすごくはっきりしているように感じられます。
「僕はこう思うけど君はそう思うんだね」というスタンスです。
けれど、同時に変化することに対してもとても柔軟で、他者から受け取った、自分の中になかったものをちゃんと覚えていて、大事に持っているような、そんな刀です。
塞ぐ竹千代君を物吉くんが「こんな時こそ笑顔です」と励まして、一緒に笑ってあげたことを、ずっと覚えていて、同じように石切丸に手渡してあげる。
ひんやりとしているのに、決して冷淡ではない、絶妙のバランス。
『好ましい』と感じたことを受け入れ、押しつけがましくなく、相手に差し出せる性質はとても素敵です。
 

今回の歌合でも、彼の心のひとかけらを見られたようでとても嬉しかったです。

瞼を開いて、瞬きすら惜しんで、息を止めて、あの時間全てを見逃したくない、と思えることは本当に幸せなことだと思います。

ひんやりとしていて、軽やかで、こちらが手を伸ばしても、ひらりと躱してしまうような『にっかり青江』

けれど、彼は『人が人である以上』こちらの味方でいてくれると、そう思わせてくれる刀でもあります。

願わくば、彼に触れる物語をまた見られますように。

去年見に行けなかった本体展示も、次こそは行きたいな…今年もやってくれないかな…